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6.結婚の歴史


通い婚から嫁入り婚、そして法律婚・・・
変化する結婚のかたちを歴史の中で見てみましょう。
 三従の教え
江戸時代
 江戸時代になると、幕府は上下の秩序を守るため『家』をすべての基礎としました。
 女性は父に従い、結婚してからは夫に従い、老いては息子に従うという、低い地位におかれました。
 子どもが生まれない妻は、離婚されても文句は言えなかったので、妻が夫に妾を勧め、その子を自分の子として育てることもありました。
 離婚するときも、庶民では「三下り半」と呼ばれる離縁状を妻に渡すことで離婚が成立しました。
 法律婚
明治〜大正時代
 明治時代になると、異なる身分や外国人との結婚の自由も認められるようになりました。 
 しかし明治政府のつくった民法は、一夫一婦制を規定しましたが、権利は主として男性に、女性、特に妻には義務のみが課せられ、男女不平等なものでした。女性は結婚によって無能力者とされ、夫の同意がなければ、大きな買い物も借金もできませんでした。この時代にも自分の意思で結婚や離婚を決めることはできませんでした。
 そうした男女不平等な世の中を変えていこうとする気運が生まれてきました。しかし、戦争が始まると国家維持のため家制度や家族に対する統制が厳しくなり、女性達の思いはかき消されていきました。
 通い婚
古代〜平安時代
 古代では、恋愛はきわめておおらかで、結婚とのさかい目は明確ではなく、男女の関係は対等でした。
 平安時代には、「源氏物語」に描かれているように、夫が妻の実家に会いに行く通い婚を経て、同居するのが一般的でした。しかし、通い婚は妻にとってはなかなか辛いもの。妻はひたすら待つだけで、夫が訪ねてこなくなれば、即離婚。夫が愛人をつくっても、どうすることもできませんでした。
 家父長制の成立
鎌倉〜戦国時代
 家父長制の成立に伴い、女性の地位が低下してきました。
鎌倉時代になると、妻が夫の家に嫁入りするようになります。この習慣は武士から始まって、徐々に社会全体へ広がりました。
 嫁入りをするようになると、妻は夫の所有物と考えられるようになり、妻の不倫は夫への反逆として、厳しく罰せられました。
 また、女性は夫を自分の意思で選べませんでした。武家の結婚は政略結婚。相手を「味方につける」あるいは「油断させる」ために結婚が決められ、愛情や人柄で相手を選ぶなんて、夢のまた夢でした。
     
新しい結婚へ
現代
 1945年終戦をむかえると、これまでの状況はがらりと変わり、日本は民主主義国家として生まれ変わりました。憲法第24条には「結婚は結婚する当人が決めるべきもので、夫婦は平等」と定められています。
 しかし、現実の結婚は必ずしも理念どおりではなく、戦前の家制度のなごりは社会慣習や人々の意識の中に根強く残っています。「嫁にやる、嫁にもらう」という言葉は、今でも使われており、結婚によって夫の姓に改姓する女性は98%にものぼっています。
 こうした中で新しい動きとして、シングルや婚姻届を出さない結婚(事実婚)など、結婚に対する考え方が多様化してきています。